16 きみならどうする?タイムトンネルの冒険


脇道堂書店 〜わたしの一冊〜編集者/柏子見

脇道堂書店_横長タイトル

もう夜。
締切日にして、結局まだ本を絞りきれていない。

小さいころ本は買ってもらえらなかったし、
その後、大切な思い出やバイブルにしている本もなく(「参考資料」として好きなストックはある)、
育ちや性格に影響したであろう一冊も、おそ、らく、ない。

大人になってからこの手の話をふられ、なんとなく向田邦子が、茨木のり子が、といえば
「えっ?」
となにかを疑われ、
ならば相手にあわせて中島らも、といえば、
ひとクセある親戚のおにいさんに絡まれたりする。

困ったものだ。ひとの家に行くと本棚を見るのが好き、というひとがいる。
そして多くの場合それで「人柄が知れる」ともいう。本はまた「教養」とされやすい。
なんでかな、あるとき話題作を読んでなかったらすんごい馬鹿にされたことがあるし、
好きで読んでた本を笑われたことだってある。

人をさげすむ教養ってなんだ?

あるときある哲学の先生らしきひとが「学ぶ」の反意語を「生きる」と置いた
(あぁ、なんて潔くつよく、マーベラス)。
つまるところ「本の話」はかなり苦手。

言葉やそこから広がるイメージが自分の血となり肉となって、病めるときも健やかなるときも、
堪え難きを堪え忍び難きを忍ぶときも、いまだってあしただって、きっと未来だって生かしてくれる。
と、大人になったであろういま思えるのは、驚くことに6年間歌った小学校の校歌で、
それはおそらくすごく清らかで誇れて幸せなことだけど、残念ながら、本じゃない。

脇道堂書店へ行くのに寄り道が過ぎた。

シンプルにいえば、自分に大きく影響したり感銘を受けたり、
今後も持ち歩きたい言葉の多くは「書物」になっていないし、
ぱっと頭に浮かんだ何冊かもここでの紹介に向かなかったり、
かくかくしかじかで、なんとなく筆が進まない。

だからここからかなり乱暴でアクロバティックな文脈で記すけど、
あるときラジオから聴こえてきたジョビンの歌の和訳には耳だけじゃなく、瞳孔が、鼻孔が、脳が、開いた。
(大丈夫?って奇妙な顔をしながら「三月の水」「和訳」で検索)。

大森某の2015、6年のいくつかの歌の「奥」を咀嚼しようとするとき、
ぼくは「おっさん」で共感もしないしキモチの代弁もされないけど、
車の運転中であっても嗚咽しそうになる(いろいろとある世の中だから検索ワード無し)。
と、また寄り道しちゃったけど、記憶におもいっきり検索をかけて、
画像もなんとかなりそうな本が見つかったので、それを挙げて脇道堂書店へたどり着きたい。

パッカード(著・原作)高田勲(絵)出版:学習研究社(1980/01)

『きみならどうする?タイムトンネルの冒険』。
校歌の意味もそのほんとうの素晴らしさにも気づかずに歌っていた小学生のころ、
図書室の古くなった本がもらえると聞いて、なんとなく選び、手にした本だ。

内容はもう忘れたけど、タイトルだけでなんとなく想像していただけると思う。
ストーリーを読み進めていくと、「きみならどうする?」って選択式の設問があって、
[A]なら○ページ、[B]なら△ページへ移動させるマルチエンディング方式の本だった。

何ページも読んだのに前の方へ戻されたり、
他の本では味わえないような遊びのある仕組みと、
アドベンチャーゲームのような感覚が楽しかったんだと思う。

けれど結論をいうと、ぼくはこの本のどのラストシーンまでもたどり着けなかった。

図書室でもらえる本=学校が破棄してもよい本、
つまりはページがやぶれたり抜け落ちたりしている本。物理的に最後まで読めなかったのだ。

あれから三十幾年。脇道堂書店には、なんとかギリ、たどり着けただろうか
(いま23時55分。そしてKさんに送信して帰宅後、加筆修正して1時35分。背中まで45分。きみならどうする?)。

 

2017.10.16
近藤 孝

 

公開日/2017年10月19日



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